2009年04月04日

プロ野球開幕2戦を終えて ― 読売ジャイアンツについて

開幕して2戦を終えた時点で決め付けるのは早いことは承知で書く。

開幕して2戦を見るかぎり、今年の読売ジャイアンツは去年のチームの欠点をどう克服し改善したのか全く見えてこない。

相変わらず、ピッチング・スタッフは他チームから後の方が弱いと見られている。対戦チームからは、大量点で差をつけられぬよう終盤までなんとか粘れば打てる逆転できると思われてしまっている。
去年と全く同じように。

昨年と同じように、先発がよく抑えても終盤に交代したピッチャーが逆転されている(今日4月4日のゲームのように)。
他チームからジャイアンツに移ってきたクルーンやマイケル中村のようなピッチャーさえ同じパターンに陥ってしまう。

これはなぜなのだろう。

中盤までに大量点差をつけてしまわないと勝てないのか。


これまでも何度も書いているように、オフに同じように厳しい練習をしてきたであろう各チーム間で差がつくのはメンタル面だと思う。
いくら鍛えた身体でもメンタルの面が揺らいでしまうと、その鍛えられた身体も100%近いパフォーマンスを発揮できなくなるのではないだろうか。

おそらく、プロ球団の選手やコーチ陣でさえ、選手たちが身体を動かさずメンタルトレーニングに時間を費やすことがもったいないと思ってしまい、メンタルトレーニングの理論の理解やメンタルトレーニングの実践を通じてメンタル面を強化したり、その成果を実際のプレーの際の神経の伝達や筋肉の活動に活かしていくということを疎かにしてしまうのだろう。

常に「心技体」ということは言っているだろうに、その「心」の部分はどう鍛えるつもりなのだろうか。
昔よくやっていたように、しごいて身体を痛めつけて、その副産物として「心」が鍛えられるなどと思っているのだとしたら大間違いだろう。

メンタルの部分を強化向上させようとすれば、そんな何の裏づけもない非科学的なやり方ではダメなのではないか。
その方法論は、おそらく高度に医学的なことに違いない。

プロ球団のようなレベルでさえも、その指導理論や指導方法はいまだに個々の指導者や選手の経験のみに頼っているものになっているのだろうか。
プロのレベルならば、なおさら、より高度なより新しい科学的知見をそれらにプラスしていかなくては、本当の選手強化は達成できないと思われる。


そういった個々の選手一人ひとりのメンタル面の強化の他に各ゲームにおける戦術やシーズン全体を見据えた戦略に影響を与えるようなメンタルの部分もあるだろう。

個々の選手の自立的・自律的な強化が必要なメンタル面の他に、他チームからシーズンを通じてジャイアンツ組み易しと思われたりピッチャーは後ろが弱いと思われたりしてしまうと各ゲーム中での戦術や長いペナントレース全体から日本シリーズまでを睨んだ戦略に大きく影響してくるようなメンタルに関わる部分というのがあると思う。

例を挙げれば、ゲーム中でヒットが続くと、よく嵩にかかった攻撃という言われるような状態になることがある。
また、チームの連勝が続くと5連勝10連勝ということもある。
こんな状態の時のチームの各選手の脳内では、それまでのイニングやゲームと違うどんな変化が起きているのだろうか。素人の私には勿論知る術はない。
そんな状態の時の選手の脳内ではどんなことが起こっているのかを調べた研究も、おそらくあるにちがいない。
もしそんなことが解かれば、監督やコーチあるいは選手自身が計画的に意識的に選手をそういう状態にもっていくこともできるのかもしれない。

勿論、悪い意味で言われるような「マインドコントロール」のようなことになってしまうのはいやだが・・・。「精神的なドーピング」(?)


しかし、そういった意味では、WBCにおける韓国チームはどのゲームでもメンタル面の強さを感じさせた。
それに反して、どうしたことか今年のキューバチームにはメンタル面の脆さのようなものを感じてしまった。




しかし、今日のゲームを見ていてジャイアンツのある選手について良い方向の変化ではないかと思われることを一つ気付いた。
それは、以前内海投手の腕の振りで構えてから腕が動き出したら途中でその動きを止めずに最後のフォロースルーまで一気に振り切ったほうが良いのではと書いたことがある。
それが今日のピッチングでは、腕が動き始めた後どこでも止まることなく最後まで一連の動きとして振ることができていた。
まるで内海選手がこのブログを読んでいたかのごとくに。メデタシ、メデタシ。




また、素人がこんなことを書いたが、とにかく今後シーズンを通してあらゆる面で読売ジャイアンツのチーム力が昨年より確実に強化されたということが証明されるようなペナントレースの展開を期待したい。
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2009年03月24日

侍ジャパンがWBC二連覇!

侍ジャパンが、WBC決勝で同じアジアの韓国チームを下して優勝した。


韓国チームとは予選から決勝まで5試合を戦い3勝2敗。
日本がコールドゲームで勝った試合を除き、いずれも接戦の好ゲームだった。

少数のチームと繰り返し対戦することになってしまう今回の競技方法に考え直すべき問題があったとはいえ、そういう中で、ベースボール母国であるアメリカに追いつけ追い越せという共通の目標に向かって、それぞれその歴史を歩んできた両国チームが今大会を通じてそれぞれの持ち味を出し切ったレベルの高い戦いを繰り広げることができたと思う。

今日の決勝も世界の頂点を決するのに相応しい素晴らしいゲームだった。
どちらが優勝してもおかしくないゲーム展開だった。

アジアの両国がそのようなことをアメリカの地でそのベースボールファンの目の前でやって見せることができたことに大きな意味がある。
それが何より喜ばしく素晴らしいことだ。


日韓が目標としてきたものに対して一応の到達点を世界に向かって示すことが出来たのではないか。
それもかなり高い位置をだ。


しかし、韓国チームは強かった。
少ないチャンスをその長打力で確実に物にしてしまう集中力、粘りはすごかった。
決して諦めない粘り、底力は見事。

侍ジャパンは、その韓国チームに今大会を通じて3−2で勝ち越し、決勝でも追いすがる韓国チームを良く振り切った。
そしてWBC二連覇。
日本もその強さが本物であることを証明してみせることができたのではないか。
これもアッパレ!アッパレ!


今夜はうまい酒が飲める。



今大会を通じて日韓の強さ、アジアの野球のレベルの高さを世界に示したことが、アメリカの両リーグでのみ行っている「ワールドシリーズ」を、世界各地区の優勝チームを交えた、名実ともにワールドシリーズの名に相応しいものにしていくことに対する圧力になったと考えるのは早計だろうか。
是非そうなって欲しい。
今やもう野球はアメリカだけのものではない。

また、日韓がお互いをライバルとして強く意識していることが互いのレベルを上げ、そのことが他チームとの戦いにおいても効果的に働いていることは間違いないだろう。
これからも日韓両国の野球が、それぞれお互いを良きライバルとして切磋琢磨し、益々アジア野球のレベルを上げて行くことを期待したい。
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2008年04月27日

ジャイアンツが浮上のきっかけになったであろうゲームを落とした

今日のジャイアンツの対タイガース戦は、9回表まで3対2というスコアであれば、9回裏はクルーンが何が何でも抑えすんなり勝たねばならなかった。
このゲームはシーズンの中のただの1ゲームではなかったのではないか。
この甲子園での対タイガース戦を2―1で勝ち越すことができていれば、浮上の弾みになったに違いない。
そのゲームを落としてしまった。

クルーン(采配によっては抑えにあたるその他の投手も同様)は、シーズンを通しての流れというのを理解しているだろうか。
今日のゲームはただの144分の1ではないだろう。
一つのゲームの中での流れもある。ここを踏ん張って相手チームの方に流れを渡さない、という場面もあるだろう。ここはなんとしてもヒットを打ち流れを引き寄せなければならないということもあるだろう。
今日のゲームの場合は、そういう1ゲームの中での話ではなく、シーズンの中で不調の流れを断ち切り浮上のきっかけを掴み好調の流れに乗るチャンスだった。
それを逃がしてしまった。
クルーンばかりではない。他の選手もそういうことを本当に理解しているのだろうか。
9回表の攻撃である。満塁になっていた。ここで1、2点取っていれば、このゲームの流れを確実に自分たちのものにし、勝利もぐっと引き寄せることができたであろう。

しかし、今日のこの1ゲームは、もしジャイアンツがこのまま暫く浮上できなかったり、優勝できなかったりした場合には、必ずターニング・ポイントに挙げられるゲームになるだろう。


しかし、ジャイアンツというチームには選手を萎縮させてしまうような何かがあるのだろうか。

よく「調子に乗るな」なんていうようなことを言う。子供の頃にはよく大人たちから言われた覚えがある。
どういう訳か、大人は何かに対して子供の何か(伸び伸びと伸ばしてあげてもよいようなもの)を抑えつけてしまう。
しかし、人間、何をするにも調子に乗って弾みがつかなくては高いパフォーマンスは発揮できないのではないか。
弾み車が弾みをつけ調子良く回るように、調子に乗らなければ頭も働かないし身体も動かないのではあるまいか。
よく火事場の馬鹿力や120%の力が出たなどというが、そういうときには、おそらく頭の中や身体の中で弾み車のようなものが調子良く回っていたのだろう。
ジャイアンツの中に、その「弾み車」を調子良く回転させるような条件がなく、逆にそれを抑えつけてしまうような何かがありはしないだろうか。
上から下まで、右から左までジャイアンツの関係者全てに再点検、反省を促したい。

まだ間に合う。いや、間に合わせなくてはならないだろう。
ベテランから若手まで優秀な選手が揃っているのだから。



23〜26日の自転車走行距離:0km
今日の自転車走行距離:0km

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2007年11月17日

スポーツ指導者研修会に参加

日本体育協会公認スポーツ指導者研修会に参加してきた。

内容は、特別協賛の大塚製薬による「栄養と水分補給」と題する情報提供の後、講演1:「トレーニングとコンディショニング」、昼食を挟んで、講演2:元オリンピック水泳選手の萩原智子さんの「水泳と私」、研究協議:「総合型地域スポーツクラブについて」と、いつものように盛り沢山だ。

今日受講した中では、萩原さんの講演がよかった。
ある意味感動した。

多くの人たちは、選手の精神的、肉体的に非常に過酷な練習のことは知らず、選手が良い結果を出した時には好意的でも時には勝手なことを言い選手を傷つけてしまう。
そんな経験が萩原さんにもあったようだ。しかし、萩原さんはそんなことも、いつも気に掛けていてくれて応援してくれているからこそだったのだろう言い、かつて無神経な事を言い自分を傷つけたような人たちにさえ今は感謝していると言った。

指導者の一言というのも、時には選手を傷つけてしまったり、逆に壁を乗り越えるきっかけを与えたりするということがあるので気をつけなくてはならないだろうとも言っていた。

また、選手は、家族や監督、コーチをはじめ大会や組織を運営する人たちも含め多くの人たちに支えられているのだ、そういうことに選手は感謝しなければならないとも話していた。

本物の「一流選手」はやはり違うと思った。

最後に、『ともすると、スポーツは他人を押しのけても勝たなければならないなどと言われる。しかし、「優勝」という言葉が「優れて勝つ」と読むと同時に「優しく勝つ」とも読めるようにスポーツ選手には優しさも必要だ。これからはスポーツを通して笑顔を普及したい』と語った。

本来のスポーツというものの定義からは外れるのかもしれないのだが、他人と競わない勝負をつけない、それでなお且つ楽しめて技術も体力もレベルアップすることができるスポーツというのがあっても良いと思う。
いや、あるべきだ。
私は、実際に、そういう風にスポーツをやっている。



研修会から帰りすぐ支度をし自転車を少し漕いだ。
昨日試乗した高級車の感触を忘れないうちに自分の自転車に乗ってみて違いを感じ取ろうとしたのだが、すでに昨日乗った高級車の感覚はすっかり雲散霧消してしまっていた。

本当に高級車のよさが感じ取れていたのだろうか?orz
あるいは、アワーグラスと呼ばれる形状のキャノンデールのアルミ製シートステイが乗り心地を良くすることに貢献していて良くできているのだとも言えるかもしれない。



16日の自転車走行距離:0km
今日の自転車走行距離:21.22km
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2007年10月18日

元五輪水泳選手の死

木原光知子さんがくも膜下出血のため亡くなった。
東京オリンピックで水泳に出場し、現役引退後も幅広く活躍されていた。最近はテレビでもあまり見なくなってはいたが、元気に活躍されていると思っていた。
まさか今こんな報に接するとは。

年齢が近いせいもあり驚きもしたし気になる部分もある。
一般に脳いっ血と言われるような病気はもっと年齢の上の年代の方たちに関係する病気だとも思っていた。


世間では健康のためにということでさかんに運動やスポーツが推奨されている。
確かに運動やスポーツが健康のためになっているという報告もされている。
また、普段から運動やスポーツをしている人たちは自分は身体を動かしているから健康については問題はないと思っている。

我々も、木原さんのように運動やスポーツで身体を動かし健康を維持したり健康になろうということで指導もし手本にもなっているような方は普段から身体を動かしていて、健康についても人一倍気を使っていらっしゃるだろうから、さぞかし健康体なのだろうと思っている。


ところで、くも膜下出血については、多くのケースが脳の動脈が分岐する部分にできる動脈瘤が破裂することによって起こるといわれている。もし動脈瘤が検査で事前に見つかればそれが破裂しないようにする治療もあるようだ。
しかし、木原さんのような方にしても、まだ若いから大丈夫と思っていたのかどんな事情があったのか脳の検査のようなことまでは受けていなかったとすると驚きでもある。
他人に健康のためにと何かを勧めるような人は、身体の隅から隅まで検査のようなことはしているのだろうなどとなんとなく考えてしまう。

身体が丈夫で健康にも自信があると思っていると、かえってそういう部分までは検査などせずに過してしまいがちなってしまうのだろうか。
身体の全ての部分が健康で異常などないと思い込んでしまう。

そういう自分も、基本健診は毎年受けているが、いまだ人間ドッグには入ったこともないし勿論脳の検査なども受けたことはない。
最近は、風邪をひきやすくなってしまい、身体の使い過ぎで免疫力が低下してしまっているのではないかと思っている。


健康のためにはある程度の運動やスポーツをするということは良いことに違いないだろう。
運動やスポーツによって身体の調子がよくなったり、悪かった健診の検査値が好転したなどの報告は多く出されている。
しかし、普段からよく身体を動かしているからスポーツ選手だから健康なのだと思い込んだり健診や検査など必要ないなどと勝手に考えてしまうような過信は禁物だということなのだろうな。


同年代の友人知人の親が亡くなるような歳になってしまったんだなぁという感慨を強く覚えたのは、つい最近だったような気がする。
ところが、もう、親ではなく自分たちがそういう歳になりつつある。


しかし、早過ぎる死である。
ご冥福をお祈りしたい。


15日の自転車走行距離:0km
16日の自転車走行距離:0km
17日の自転車走行距離:0km
18日の自転車走行距離:0km
今日の自転車走行距離:0km
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2007年09月27日

嫌な事件が起きた

相撲部屋で当にリンチ殺人。

稽古に名を借りて入門したばかりの弟子に親方や兄弟子が暴行を加えたようだ。
親方はその弟子の額をビール瓶で殴ったという。兄弟子は金属バットで殴ったという。

親元に帰った亡骸には酷い暴行の痕跡があったという。
部屋では、これらの痕跡を遺族の目に触れさせず暴行の証拠を湮滅しようとしたのか亡骸を親元に返す前に火葬に付そうとさえしたようだ。


どんな分野・世界であれ、自らの権力が及ぶ範囲にある者をその権力の及ぶ範囲から逃れられない条件の下に置きながら暴力を行使するなどということは断じて許されるものではない。

これほど惨いことはない。

武器を持っていないということでマワシのみで取り組みをするという相撲取りとして恥ではないのか。


私は国家による暴力の行使の一部である「死刑」には反対である。

しかし、殺された方の遺族は、当の相撲部屋で暴力の行使に関わった者及び親方に対しては極刑を要求してもよいのではないか。
実際に死刑が求刑され、確定し執行されるようになることは信条的には反対の立場だが、こういうケースの場合は、そういう要求をしたとしても心情的には分る気がする。
多勢が手を下したとはいえ、各々の罪が薄まるものではない。
相撲の世界でもっとも権力を持っている理事長にも監督責任があるのではないか。

横綱審議委員などは、本当に厳しく対処すべきだろう。今回の件は朝青龍の問題などの比ではない。
これに厳しく対処できないような委員は続ける資格はない。朝青龍などを論っている場合ではない。
弱きを助け、強きを挫け。
大きな権力や権威を持った者を挫け、と言いたい。

これも良くないことは当たり前だが、権力とは無縁の一般人が一般人に対して暴力を振るってしまうのとはわけが違う。
一般人の場合、危害を受ける危険を感じたような場合、あわよくばその場から逃げることも可能である。
しかし、このケースは違う。
双方が対等ではないではないか。弟子から見れば大きな権力と権威を持った者とそうでない者。

権力を持った者または体力や腕力に優れた者、威圧的な容貌をもった者などなどが、それらのアドバンテージを利用して、そうでない者に対して暴力を行使しまたは威嚇するようなことは、スポーツの科学的トレーニングとは全く無縁の物であるし、本当は相撲やスポーツの世界以外の普通の世の中であれあってはならないことだ。
絶対に許してはならない。

権力や権威と暴力のセットは碌な事はない。

以前にもどこかに書いたと思うのだが、昔はよく言われた「弱きを助け、強きを挫く」ということはずっと子孫に伝えるべき良き日本の伝統のはずではないのか。

弱きは一人では権力をもった者に勝てるわけはない。だからこの場合は弟子達は団結して、権力も権威も持った親方の横暴を阻止しなければならなかっただろうに。

弱い立場にいる者を寄ってたかって虐めてどうする。
この件に関わった者たちはことの重大さをよくよく考えてみる必要がある。
単に、大勢で弱い者に暴力を振るい死に至らしめたということに留まらない大きな問題がある。


今日の自転車走行距離:0km
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2006年10月02日

スポーツ担当大臣

今日から始まった、日本テレビの「ニュースZERO」で、安倍内閣の高市早苗内閣府特命担当大臣の名刺の肩書きの部分を取り上げ、なぜ高市大臣がこれほど多くの部署を担当することになってしまったのかということを話題にしていた。
これは、内閣法によって国務大臣の数が17人以内(内閣法第2条2項)と規定されていることによるとのことであった。

このとき、この番組に出演していた星野仙一阪神タイガースシニアディレクターが「スポーツ担当大臣がいなきゃいかん」と声をあらげて仰っていた。

これには同感。
国レベルだけでなく、地方自治体の首長や議会の議員もスポーツは大事だと言っている割に、予算や具体的施策をみると、スポーツがそれほど重要視されているとは思えない。
財政が逼迫すると、文化やスポーツに関する予算は真っ先に削られてしまう。
わが県でも、スポーツ関係の予算は大幅に削られ県の体育施設の職員数も減らされてしまった。

予算の面で言えば、私が平成15年まで関わっていた県体育指導委員連絡協議会関係の予算が25%カットなどということがあった。体育指導委員の現在の活動・役割が本当に市民のニーズや時代の要請にマッチしているかは置くとして、これなど無茶苦茶だと言わざるを得ない。果たして、これで委員の資質の向上など本気で図ろうと思っているのだろうか。
各市町村の体育指導委員の全国レベルや地方レベルの研修会等への参加の機会もどんどん減ってきているのが実情だろう。

わが県のスポーツプログラマーの養成講習会なども、関係予算のカットで開催できなくなってしまった。

平成12年に発表された、文科省の「スポーツ振興基本計画」では、スポーツ指導者の養成や資質の向上を謳ったのではないのか。

今日の自転車走行距離:0km
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2006年08月01日

トレーニング効果の特異性

7月は、町内のお祭りがあったりでバドミントンの練習がほとんどできなかった。

8月に入って、今晩、久しぶりにバドミントンの練習にいってみた。以前、よく練習ゲームをしていた仲間とゲームをしたのだが、フットワークが何か違和感がある。思うように脚が動かない。リズミカルでない。
確かに、長い間休んでいるとゲーム感を忘れるということもある。脚が動かないと、狙うコースやポイントの組み立てもおかしくなってしまう。

しかし、バドミントンを休んでいる間も自転車にはある程度乗っていた。太腿の筋肉も付いた感じがするし、脚の筋力や筋持久力、全身持久力もある程度向上したと思う。股関節や膝の調子もよい。ジョギングも硬い走路でなければ少しはできるようになった。
なのに、バドミントンのフットワークは調子が悪い。

そこで、以前、冗談なのかとも思ったが、自転車にばかり乗っていると歩くことや走ることが下手になってしまうのだという意味のコメントを頂いたことを思い出した。

わたしの場合、自転車に乗っているといっても、頻繁にレースに出ているような人たちと比べれば大したことはないとは思うが、それでも、それなりにトレーニング効果が出ていることは実感している。

にもかかわらず、バドミントンのフットワークは忘れてしまったようなレベルになってしまう。

ということは、当たり前なのだが、やはり、自転車には自転車の「トレーニング効果の特異性」があって、そのコメントの通り、「自転車にばかり乗っていると歩くことや走ることが下手になってしまう」というのは、強ち冗談とばかりは言えないような気がしてくる。

自転車に乗って得られる脚力は、バドミントンのゲームで必要になる非常に短い距離を素早くリズミカルに動いて急激に止まるということを繰り返す必要がある脚力とは、かなり違いがある。また、脚に要求される器用さというか技術にも大きな違いがあるような気もする。
だから、自転車で向上したものが、直ちにバドミントンに活きてくるとも思わない。

これもまた、当たり前なのだが、向上させた筋力や持久力等を自分の専門にしている種目に活かすような別なトレーニング、基礎的トレーニングと専門種目のパフォーマンスの向上との「つなぎ」のためのトレーニングを、特にしないと、向上したものを自分の専門種目に本当に活かすことはできないのだとも思う。

ただ、そういったことは、筋力や筋持久力などに、また、それらをパフォーマンスの向上に繋げるというようなことに関して言えることのように思う。
トレーニングをしているのに現状を維持さえできず、「下手になってしまう」というのはなぜだろうという疑問は依然として残る。

「上手い・下手」というのは、「力」に関してよりも、むしろ「器用さ」や「技術」の方により重きを置いた評価なのだろうから、自転車には、「歩き」や「走り」、「フットワーク」などに必要な「器用さ」や「技術」というようなものを削いでしまうような要素が、ひょっとして何かあるのだろうか。

今日の自転車走行距離:0km
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2006年07月11日

「常勝読売ジャイアンツ」の復活を祈念して

セ・パ交流戦以降の読売ジャイアンツの凋落振りは目を覆うばかりだ。こっちが心配で、サッカーW杯どころではなかった。

野球全体の衰退といわれるが、プロ野球チームの戦力が平均化し、強いジャイアンツ、常勝ジャイアンツ、「主役」の不在のようなことと関係があるのではないか?

アマチュア・スポーツは置くとして、プロの世界では戦力の不均衡、はっきりとした「主役」の存在があってもよいのではないか。そのほうが盛り上がるのではないか?昔の力道山と多くの悪役プロレスラーしかり。
「鞍馬天狗」で鞍馬天狗がいきなり殺されてしまったら、それこそ「話」にならない。誰も見ない。「水戸黄門」だって、ワンパターンで最後の20分から15分には必ず悪人が懲らしめられる。それでも、それを期待して見るではないか。

だから、弱いジャイアンツでは、主人公がいきなりやっつけられたり、殺されたりしてしまうようなもので、話にならないのだ。
以前、ジャイアンツが金に物を言わせてよい選手を集めたといって批判されたが、もしもそれでもうまくいって、例えば、毎年全勝優勝(ありえないのだろうが)したとしても、私はジャイアンツの試合を見るだろう。そして、たぶんプロ野球も今より盛り上がるだろう。
「子供に夢を与えられるような・・・」などと言うが、誰が、やっつけられてばかりいるものに夢を託したり、憧れを抱いたりするだろうか?

もし、あの頃、力道山が負けてばかりだったとしたら、果たしてあれだけプロレスが盛り上がっただろうか?力道山が勝ってばかりいて、戦力の不均衡だ、問題だと言った人が果たしていただろうか?

むしろ、こういうプロの世界、常人には手の届かない「架空の世界」のような部分での「力の不均衡」を批判し、現実の世界の格差社会、新たな階級社会の到来などと言われているような「富の不均衡」が進みつつある方を問題にしないことのほうがずっと不健全だと思うのだが、いかがだろうか?


父親が、大の長嶋ファンでジャイアンツファンだった。若い頃は、自分でも野球をやっていたようだ。休日には、地元の中学校の野球部の練習をよく見に行っていた。「僕に監督をやらせてもらえればなぁ・・・」などと言っていたこともある。その父親の影響でもないのだが、今は、私も、選手は変わろうが、ジャイアンツファンだ。

しかし、私が子供のころは、プロ野球にはあまり興味がなかった。むしろ、力道山のプロレスや、若乃花や栃錦の相撲のほうが好きだった。まだ、家にテレビがなかったので、近所の家に見せてもらいに行ったり、銭湯で見た。「怪人二十面相」や「赤胴鈴之助」、「月光仮面」もよく見た。
家でテレビを買っても、父は野球中継を見たがったのだが、私たちはバラエティ番組やドラマを見ていたものだから、父はナイター中継を見られなかった。
父が亡くなって40年近くなるが、今では、お袋も含めて巨人戦のナイターを見ている。数年前までは、東京ドームへも年に数回見に行っていた。
父が生きていた頃と大違い。父も生きていたら、家族の変貌振りに驚いたろう。なにより、家族そろって巨人戦のナイター中継が楽しめたと思うと、昔は父に気の毒なことをしてしまったと思う、と同時に、もう少しジャイアンツよしっかりしてくれとも思う。

父が「長嶋茂雄」に夢を託したように、子供たちが夢を託せ、憧れるようなヒーローの出現とプロ野球の「主人公」としての読売ジャイアンツの復活を強く望みたい。

一つ提案として、すでにやってはいるとは思うが、読売ジャイアンツには、もっと科学的メンタルトレーニングをしっかり取り入れることを勧めたい。


10日の自転車走行距離:0km
今日の自転車走行距離:0km
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2006年06月12日

サッカー・ワールド・カップ、対オーストラリア戦

私はラグビー派なのですが見てしまいますね。サッカー日本代表より読売ジャイアンツの超不振の方が心配なのですけれど。
先取点をとりましたねぇ。今ワールド・カップでは、今までの試合で先取点を取ったチームで負けたチームはないとのこと。日本チームにとって良いデータだとよいのですが。

不振を極めていた選手を目覚めさせてしまったり、一本もホームランを打っていない選手に打たれては絶対にまずいところで打たれたり、連敗しているチームに負けて勢いを取り戻させてしまったりするジャイアンツの例もある、と書きかけていたら案の定同点ゴール。

日本のシュートには力がこもっていない。スウィート・スポットを外したような腑抜けたシュート。鋭さがない。キレがない。
と書いている内に立て続けに2点目、3点目。やってくれました。データは日本には当てはまらなかった。ジャイアンツと同じ。

なぜ腑抜けた、気の抜けたようなシュートしか打てないのだ。相手ゴール前までボールを持ち込んでオドオドしているように見える。勢いが止まってしまう。
それから、「基本に戻る」のではなかったのか。「攻撃ハ最大ノ防御」というのが、戦術としては基本の中の基本ではないのか。相手の3倍4倍のシュートを打て。どうせ決まる確率が低いのだから。

サッカーの選手は簡単に転びすぎる。
簡単に転ぶな。タックルにくる選手の脚をへし折ってでも前進せよ。
ラグビーの選手を見習え。転んだら負けだ。転びかけたら四つんばいになってでもゴールに向かって前進せよ。

日本の選手には、そういう執念、ねちっこさ、ずる賢さ、いやらしさのようなものが殆んどない。
それらのものがないのなら普通の選手。一流選手は普通の選手にないものを持っていなければならない。そのために(その普通と一流の僅かの差で)普通の人とは比べものにならないほどの高額の報酬をもらっているのだろうから。
サッパリしている。アッサリしている。それじゃ負けるわな。

後半、福西がシュートを外したのが相手を勢いづかせるきっかけになってしまった。あの1本のシュートがターニング・ポイントだった。
みんなジャイアンツとよく似ていますね。なぜでしょう。
どちらにとっても、もっとしっかりとした科学的なメンタル・トレーニングのようなものが必要なのではないか。

前回大会で初戦を落として決勝に進んだチームはたった1チーム。
ゲーム・オーバー。撤収。
これが本当の糠喜び。

今日の自転車走行距離:0km



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